残してしまった八宝菜はいい匂いがする

「生徒」のこと嫌い?好き?それぞれあるかもしれないけど、さほど悪いものではないんじゃないかな、「悲哀」は。そうじゃない?

天気の良い水曜の昼は窓から

六本木のキャバの女性を見ていると、プロ意識が高いなと思う。
それは、キメキメの外見、会話の技術、努力を惜しまないところ。
お客に完全に勘違いをさせないで、夢を与えていると思わせつつ、常連になってもらう。
ふと、もしかしてコイツ、自分に本気かもしれないなど気にしてもらう。
このバランスのとり方が、どんな職業よりも、絶妙だ。
それは置いといて、私は人気のホステスの給料が凄く聞いてみたい。

泣きながら走る弟と冷めた夕飯
しかもお客様は、だいたい日本人だという様子だったのでその光景に驚いた。
店の中の客は、だいたい日本人だという様子だったのでその光景に驚いた。
なんでも、韓国の美容液などは肌にやさしい成分が豊富に使用されているとか。
もちろん、スキンケアにも感動はあったけれど店番の人の日本語能力にも感心した。
この分野の会話だけなのかもしれないが、日本語が堪能。
私は、頼りない韓国語を使おうと向かった韓国旅行だけど、必要ないようだった。
仕事で使用するなら、努力あれば外国語を理解できるということを目にすることができた旅行だった。

雨が上がった祝日の明け方は歩いてみる

実行させたら、完成させるまでに膨大な時間が必要なものが、身の回りにたくさん存在する。
私は、外国語の習得だろう。
実は、隣国で使用される韓国語は、例外的で、母国語である日本語と語順が一緒で、さらに発音がそっくりなので、身になりやすいそうだ。
昔、韓国語を特訓していた友達の明日香ちゃんは、英語を勉強するより割と学びやすいので飽きないよ、とのこと。
ほんの少しドキドキしたけれどどう考えてもハングルは暗号にしか思えない。

どしゃ降りの土曜の夜明けはこっそりと
仲のいい子と前から遊びに行こうと約束をしていた。
福岡の恒例の大きめの広場。
そこで、少しばかり遅れるとメールがきた。
ここは待ち合わせ場所なので、待っている人も次々に約束の相手が現れる。
iphoneで音楽を聴きながら、それを見ていた。
それでも時間を持て余してたまに行く喫茶店に入り、レモンティーを飲んでいた。
その後、友人が遅くなってごめんね!と言いつつやってきた。
お昼どうする?と聞くと、パスタがいいかもと言った。
色々調べてみたけれど、いい店を探せなかった。

無我夢中で吠えるあの子と季節はずれの雪

小説家の江國香織の本に表れる女性陣は、なんとなくアンニュイだ。
例えれば、ホリーガーデンの果歩。
あと、きらきらひかるの笑子。
あとは、ウエハースの椅子の女性画家など。
江國香織の隠れた部分を、極端にして表現した形なのだろうか。
徹底してクレイジーだと思うのが、「神様のボート」で登場する葉子。
もしかすると迎えに来る可能性もあるあのひとのために、色々なところに引っ越す。
「あのひと」を忘れないで、絶対会えると確信して。
挙句の果てに「ママは現実を生きていない」と、愛娘に告げられるが、彼女にはいまいち響かない。
ここが、この本の接待的にクレイジーなところだ。
個人的には、ウエハースの椅子にはなるべく座れないけれど神様のボートには乗ってもいい。
江國香織さんの書く、クレイジーだけど可憐で少々病んだ主役が大好きだ。

怒って叫ぶ先生と観光地
遠くの故郷で暮らす母も孫の為として、めちゃめちゃ豊富に手作りのものを仕立てて送ってくれている。
キティーちゃんがめっちゃ好きだと言ったら、そのキャラクターの布で、作ってくれたが、生地の購入価格がめっちゃ高価で驚倒していた。
裁縫するための布は縦、横、キャラクターものだと上、下も向きがあって手間だそうだ。
でありながら、色々、作成してくれて、送ってくれた。
孫はめっちゃ愛らしいのだろう。

悲しそうに熱弁する彼女と読みかけの本

いつものショッピングセンターで買い物をしていた。
冷凍食品のコーナーで、ドリアを選んでいた。
すると、韓国文字で記載されている品を探し出した。
良く見て確認すると、トッポギだった。
今年、韓国まで向かった時に、何回も韓国まで旅行している先輩に勧められたのがトッポギ。
ここ日本で冷凍食品として、あのトッポギが発売されてるなんて、心外だった。

風の無い平日の朝にシャワーを
ちょっと仕事で必要性のある太い竹を定期的に拝領するようになり、良かったのだけれど、密集した竹が厄介でガンガン持っていってほしがっている山の持ち主は、私が仕事で使いたい量以上に竹を取って運ばせようとしてくるのでちょっと困る。
そこらじゅういての竹を持って戻っても余ることになるのだが、太い竹が邪魔で邪魔でしょうがないらしく、運んで行ってくれとしきりにお願いされる。
こちらも必要なものをタダでもらっているので、断りづらい。

風の無い金曜の明け方にひっそりと

いつかの夜遅く、私は当時付き合っていた彼氏と、東京から下道を利用し、由比ヶ浜に行った。
なぜかと言うかは、お気に入りのデジタル一眼で海を撮影するためだったけれど、なかなかうまく映らない。
砂浜は長く来ていなかったから、そのうちヒールを脱いで海に入りはじめた。
だんだん飽きてしまい、浜辺で山を作ることをするようになった。
覚えている限りでは、それ位までは、実際にそばに置いていた白いデジタル一眼。
たくさん遊んで、帰路の最中、GSでデジタル一眼がケースにない事に気が付いた。
仕方なく部屋まで帰ったけれど、思い出すと、すごくさみしかった記憶がある。
数百枚の写真が記憶されていた大好きな一眼、今はどこにいるんだろう?

勢いで熱弁する先生と私
「とにかくこうで間違いない!」と、自分自身の価値観だけで周りを裁くのは悪くはない。
だけど、世間には個性と言うものが個人の周囲に漂っている。
この事を頭に置いておけば自信を手に入れるのは必要だけど、あまりにも反論するのは不要かも?と考える。
まあ、これも個人の考えでしかないけれど。
厳しい世になってもおかしくないかもしれない。

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